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ペーパードライバー講習
首都高は車線の幅が狭いのにカーブが多く、合流や分岐もたくさんあってとても複雑です。
ペーパードライバーの方にとっては難易度が高い高速道路です。
では、なぜ首都高はこんな構造になってしまったのでしょうか?
高度経済成長期の1950年代半ば頃には都市部の自動車台数は爆発的に増加し、交通渋滞が深刻な問題になりました。
自動車の増加に対して道路の整備は遅れており、1965年には完全に交通は麻痺してしまうと予測されていました。
そこで首都高速道路の計画が本格的に構想され1958年に計画が決定しました。
そして、首都高速道路の計画決定から1年も経たないうちに1964年の東京オリンピックが決定しました。
オリンピックの際、選手団の移動が渋滞に巻き込まれてしまえばオリンピックの成功に影響が出てしまうため、空港と都心を結ぶ路線が急ピッチで建設されることになりました。
建設期間を短縮するため、建設の際には高速道路の大部分を公用地の上に建設し、用地買収にかかる時間を省くという方法が取られました。
そのため当時建設された路線の大部分は既存の幹線道路の上や、河川の上に建設されています。
河川の上に建設された部分は河川に沿って曲がるため、結果として通常高速道路では見られないようなカーブが多くなってしまいました。
私有地を避けて最小限のスペースに急ピッチで建設したためカーブが多くなったり、右側からの合流が多数になってしまったわけです。
首都高速道路の建設計画を決定した1958年から60年近く経過した2019年、日本橋の上を通る路線が地下化されることが決定しました。
このように今後地下化が進んでいけば高度経済成長期の面影を残す急カーブは減っていくでしょう。